白黒つけずに見てみる
人は、実はあふれる情報の中から選択的に自分が惹かれる情報だけを拾い出しているもので。
たとえ整理されているつもりすら無くとも、自分に都合の良い部分だけを覚え、知識として蓄積しているものです。
だから、情報が人の性癖や行動を変えるというのは、ある程度の対象層のパイの中ならともかく、送り手側の思い上がりに過ぎないのではないでしょうか。
一方で、情報の洪水によって、ある人のモラルが変化してしまう、と言うのはあるかも知れません。
なぜなら、情報とは「世の中では何が起こっているか」、ひいては「何が最近の "普通" なのか」の判断基準になるものです。
だから、目にする情報が全て、あるベクトル・水準へと振れてしまっていたら、その人はそれを基準としたバイアスを受けてしまうでしょう。
上記の2つの視点は、相反する主張です。
人の行動を決定するのは、あくまでその人自身の指向によるのか?
あるいは人の指向こそ、周囲の環境や情報によって醸成され方向付けられてしまうものなのか?
実際にはこの2つは密接に絡み合って人に影響を与え、最終的な行動を導きます。不可分のものではなく、それぞれの人の中で連続的に繰り返し起こる変化でしょう。
何らかの事件が起こったとき、加害者・犯人が○○を好んでいたと判った瞬間に○○バッシングが起こります。
そういうのを見聞きするたびに、マスコミの言動やそれを鵜呑みにしたり煽ったりする人々を見るたびに、私はその風潮に反発すべきなのか、首肯すべきなのか。悩みます。
……大抵の場合は、以上のことを露ほども意識していないように、短絡的なわかりやすい主張だけがマスコミに流れて、それを興味本位で取り上げる受け手がいて、と言う状況なので、とりあえず反発することが多いのですけどね。
とりあえず、にわかプロファイラーたちに理解できるほど、人一人の人生を構成する事物は単純ではありません。
何にも知らないでしょ、彼/彼女のこと。
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